読書三到~或る通訳者の本棚
2025.10.01
通訳
第5回:『英文法の正体・ネイティブの感覚で捉える』『英文法の発見・頭の中に英語の感覚をつくる本』(濱田英人 著)青灯社
今回は英文法に関する書籍をご紹介する。
通訳者にとって英文法は、単なる知識や受験のための暗記事項ではなく、リアルタイムで英語を処理し、表現するための「感覚」として機能すべきものである。通訳者は文頭から文末に至るまでインプットされる言葉から話者が伝えようとしていことを瞬時に理解し、同時に頭の中で異なる言語でその意味を表現するための文章を組み立てることが求められる。日本語と英語の通訳であれば、日本語でインプットされた意味・意図・気持ちなどを英語で表現する、あるいは英語でインプットされた意味・意図・気持ちなどを日本語で表現することになるが、その際に重要なことは、日本語、英語それぞれに固有な「感覚」を身に付けているかどうかである。濱田英人氏の著作『英文法の発見・頭の中に英語の感覚をつくる本』と『英文法の正体』は、まさしくこの「感覚としての文法」を培うための格好の実践的解説書である。
著者の濱田英人氏は、英語教育に長年携わってきた教育者であり、著作や講演を通じて「文法は学習者を縛る規則の束ではなく、自由に英語を操るための武器である」と一貫して主張している。彼の教育思想は、単なる知識伝達にとどまらず、「英語的な思考回路を頭の中に構築する」ことを目指す点に特色がある。この理念は通訳者にとってもきわめて親和性が高く、理論を実践に直結させる力を持っている。
言い換えれば、より本質的に「英文法とは何か」を問い直しているということにもなろう。文法を「規則集」ではなく「英語が世界を認識し表現する仕組みそのもの」として描き出すことで、学習者は単にルールを覚えるのではなく、文法の根底に流れる論理を理解できる。
「日本語話者は見えているままに表現するが、英語話者は自分を含めて出来事全体を外から見ている(メタ認知)という感覚で表現する」という解説は通訳のプロセスという観点からは極めて重要な指摘である。
この根底にあるのは認知言語学的な捉え方である。語順を「意味の優先順位を示す装置」として説明したり、助動詞を「話し手の心の距離感を表す道具」として解説している。この認知言語学的な英文法理解のアプローチは通訳者にとって非常に有益である。例えば、通訳者が助動詞一つの「ニュアンス」、「感覚」を取り違えると、発言者の意図を誤って伝える危険がある。これは動詞、前置詞、接続詞や時制についても然りである。使役動詞のmake、haveの違いや、未来形、現在形、過去形、仮定法の使い分けなどに関しても、単なる規則や文章構造だけではなく、ネイティブスピーカーの「感覚」から説明されている。“come”という動詞は何故「行く」という日本語の訳語にもなるのか、何故、仮定法は過去形や過去完了形を使っているのか・・・・。『英文法の正体』と『英文法の発見』は、その微妙な「話者の感覚」を心の深層と結びつけることで把握できるよう構成されている。
こうしたネイティブスピーカーの「感覚」を身に着けようとするための手法としてスピーチの丸暗記という学習法がある。筆者自身も遥か昔の学生の時分から、通訳者として仕事をする現在まで、この「丸暗記」という学習法を踏襲し続けている。それは何故かといえば、「感覚」を理詰めで理解する術がなかったからである。「この文脈ではこの動詞」、「この場面ではこの前置詞」、「この文章ではこの語順」・・・など、正しいと思われるネイティブなフレーズやセンテンスを何故?という論理的な理解を割愛し、そのまま丸暗記して応用することが最も確実だと考えてきたからである。『英文法の発見・頭の中に英語の感覚をつくる本』と『英文法の正体』は、理詰めでは理解できなかったその「感覚」を論理的に解き明かしてくれるものと言えるだろう。
以上を踏まえたうえで、両書で学べることを通訳プロセスという観点から見たときには次のような効用があるのではないだろうか。
1.処理スピードの向上
英語の語順や構造の必然性を感覚としてしかも論理的に理解することで、聞き取りながら同時に構文を処理する能力が高まる。
2.アウトプットの正確性
文法を「感覚」として持つことで、訳出の際に自然で正確な表現を瞬時に構築できるようになり、通訳表現の質を支える基盤となる。
3.自己修正力の強化
これらの「感覚」がしっかりと身につけば、直感的に「違和感」を覚えられるようになり誤りの修正につながる。
4.ニュアンスの再現
動詞、助動詞や時制の微妙な差を感覚的に捉えることで、発言者の意図や態度を正確に理解、再現する能力を強化できる。通訳においては単なる情報伝達だけでなく、話し手の意図・気持ちを伝えることが重要であり、その基盤を本書は支えてくれる。
繰り返しにはなるが、両書とも「感覚の形成」を重視した実践的アプローチと「文法の根本的な仕組み」を解き明かす理論的枠組みを習得することに役立つ。通訳者にとっては「即応力」と「深い理解」を両輪として鍛えるための格好の指南書である。
濱田英人氏の『英文法の発見・頭の中に英語の感覚をつくる本』と『英文法の正体』は、通訳者が英文法を学び直す上で極めて価値の高い著作である。「気づきと感覚の育成」や「文法の本質的理解」を提供し、通訳者に求められる即応力・正確性・ニュアンス再現力を同時に学ぶことができる。数多くの平易な例文で非常にわかりやすく解説されているところも優れた点である。
文法を規則として暗記するのではなく、「英語の思考様式」として自らの中に取り込むこと――この発想の転換を通訳者にもたらしてくれる点で、まさに実践的な「文法 再発見の書」と言えるだろう。
今回はここまで。ごきげんよう。
参考文献:
濱田英人(2025)『英文法の発見 頭の中に英語の感覚をつくる本』青灯社
濱田英人(2021)『英文法の正体 ネイティブの感覚で捉える』青灯社

英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。
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