ISSライブラリー ~講師が贈る今月の一冊~
2020.06.03
スキルアップ
第48回:中村匡志先生(英語翻訳)
先生方のおすすめする本が集まったISSライブラリー。
プロの通訳者・翻訳者として活躍されているISS講師に、「人生のターニングポイントとなった本」「通訳者・翻訳者として必要な知識を身につけるために一度は読んでほしい本」「癒しや気分転換になる本」「通訳・翻訳・語学力強化のために役立つ参考書」等を、エピソードを交えてご紹介いただきます。
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今月の一冊は、英語翻訳者養成コース講師、中村匡志先生ご紹介の「古代への情熱--シュリーマン自伝」(ハインリッヒ・シュリーマン著, 村田数之亮訳, 岩波文庫, 昭和51年改版(初版は昭和29年))です。
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翻訳家はもちろん、語学を志す者ならまず最初に読むべき書である。
といっても、必ず読むべきなのは9ページから40ページまでの32ページ分に過ぎない。あとの部分は、読んでも読まなくてもよい。
なぜなら、この32ページの中に、語学上達の方法論が凝縮されているからである。
一番肝になる部分を引用すると、次の通りである。
「そこで私は異常な熱心をもって英語の学習に専心したが、この時の緊急切迫した境遇から、私はあらゆる言語の習得を容易にする一方法を発見した。
このかんたんな方法とはまずつぎのことにある。非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日1時間あてること、つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗唱することである。〔…〕できるだけ早く会話をものにするために、日曜日には英国教会の礼拝にいつも2回はかよって、説教を傾聴し、その一語一語を低く口まねした。どのような使い走りにも、雨が降ってももちろん、一冊の本を手に持って、それから何かを暗記した。何も読まずに郵便局で待っていたことはなかった。こうして私はしだいに記憶力を強めて、3か月後にははやくもわが教師テイラー氏とトンプソン氏の前で、いつもその授業時間には印刷された英語の散文20ページを、もしあらかじめ3回注意して通読していたならば、文字どおりに暗誦することができた。この方法によって私はゴールドスミスの『ウェイクフィールドの牧師』の全部とウォルター・スコットの『アイヴァンホー』とを暗記した。過度の興奮のために私はごくわずかしか眠れないので、夜中にさめているすべての時間を利用して、夕方に読んだことをもう一度そらでくり返した。〔…〕私はこのような方法をなんぴとにも推薦する。このようにして私は半か年の間に英語の基礎的知識をわがものにすることができた。
つぎに私は同じ方法をフランス語の勉強にも適用して、次の6か月でそれに熟達した。」
(同書25-26頁。但し、漢数字をアラビア数字に改めた)
私が本書を読んだのは大学を卒業し、就職して間もない頃であった。その職場では「英独仏読めて当たり前」というような感じでかなりの語学力が要求されたため、浅学菲才の私は困り果てて片っ端から語学習得法の本を読み漁ったのである。その過程で見つけたのが上記の部分であった。
いろいろ刺激的なフレーズが並ぶが、私が当時最も強く印象を受けたのは、「決して翻訳しないこと」というフレーズである。中学・高校で叩き込まれたいわゆる「訳読」をしている間は、結局日本語の枠組で物事を考えているにすぎず、本当に外国語ができることにはならない。日本語を介してでなく、習得しようとしている言語そのもので直接に物事を考えるようになってはじめて、その言語を習得することができる、ということに気づいたのである。
その確信から、私は一度仕事を辞めて留学することにした。
その後、私は翻訳業を生業とすることになったが、このような「翻訳しない」期間、「原語で考える」期間を経て本当に良かったと思っている。私の信念と経験によれば、①原語を原語としてまず理解し、②次に「それを日本語で表現するならばどうなるか」を考える、という手順でなければ、真の意味で正確な翻訳は生み出し得ない。
そのことに気付けたのは、シュリーマンのこのフレーズの御蔭である。
この意味で、本書は私の人生に大きな影響を与えた書である。翻訳を志す方にはぜひ推薦したい。
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中村 匡志(なかむら ただし)
東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科助手を経て、ドイツ・ボン大学法学国家学部法学修士課程修了(法学修士)。ドイツ・ザールラント大学ヨーロッパ・インスティテュート欧州統合研究プログラム修了。現在、中村国際事務所代表。訳書に、ヘルデーゲン『EU法』。専門誌への翻訳公刊実績も多数。令和元年より白岡市議会議員。
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