会社辞めて地方に移住して翻訳始めて兼業主夫とイクメンやってみた
2025.01.06
翻訳
第7回:翻訳業と家事・子育ての両立はスケジュール管理から
明けましておめでとうございます。昨年1月から始めたこの連載も2年目に入ります。本年もよろしくお願いします。
大谷選手のインタビューから
昨年は文字どおりの“大谷イヤー”でしたが、大谷選手が通訳を介してインタビューを受ける姿を見て、私は自分の駆け出し時代に翻訳した本を思い出しました。それは野球の歴史をたどった本で、その終わりの方で往年の日本人大リーガーが語った言葉が紹介されていたのです。喜び勇んで翻訳に取り掛かかったものの、すぐに、その厄介さに気がつきました。
本来、翻訳には唯一の正解というものがありません。原文の外国語をどんなに正確に理解し、適切な日本語に置き換えても、原文に近づくことはできますが「訳文=原文」とはならないからです。これが翻訳の難しさであり面白さでもありますが、翻訳作業の観点からは、正解がないからこそ自分が納得できた時点で作業を終了できます。
ところが、その大リーガーの言葉には、日本語での発言という唯一の正解が存在しています。一方、私が手にしているのは、その正解を通訳が英語に訳した言葉です。意味やニュアンスを完璧に読み取り、さらに話し方の癖までまねできたとしても元の日本語は復元できません。そう分かっていても、超がつく有名選手の重要なシーンでの発言だったので、少しでも正解に近づきたくて推敲の手を止められませんでした。
あげくの果てに作業予定を変更し、元の発言を日本語で紹介した資料を探し始めました。ネット検索から始めて関連書籍も多数購入しましたし、ほかの用事を絡めて上京し、水道橋の野球殿堂博物館や大型図書館にも足を運びました。しかし、求めていた“正解”は見つからず、最後は、ここまでやったのだからと自分を納得させて納品しました。数えてみれば発言部分は英語で16語、全体のわずか0.025%でした。調べ物が好きな私には楽しい作業でしたがコスパもタイパもゼロ。出版翻訳でなければ、私もここまでやらなかったでしょう。
賢いスケジュール管理
特殊な例を挙げましたが、実際に原文を訳し始めてみると予想以上に時間と手間がかかることはよくあります。そうなると作業予定を組み直すことになりますが、そのためには翻訳作業に使える時間を正確に把握しておくことが欠かせません。もちろん、受注する際にも「この内容と分量で指定の納期までに仕上げられるか」を判断しなければなりません。つまり、一日の終わりに結果として「今日はたくさん時間が取れた」というのではなく、事前に作業予定を組める形でまとまった時間をいかに確保するかが、家事・子育てと仕事を両立するカギとなります。そのために特に心を砕いたのが綿密なスケジュール管理です。
綿密なスケジュール管理というと、5分、10分単位の予定表や最新のスケジュール管理アプリを思い浮かべるかもしれません。しかし、私が使っていたのは、下に挙げる自作の簡単なEXCEL表です(実物。ただし、固有名詞などを一部変更後)。なお、表中の「初訳」「推敲1」「推敲2」「最終推敲」は作業段階を示しています。

この表のポイントは家族のスケジュールと併せて、案件別の作業予定と進捗状況を一覧できることです。これを見れば翻訳作業に使える時間帯が一目瞭然なので、新しい案件を打診されてもすぐに返答できるし、作業予定の組み替えについても判断しやすくなります。
たとえば、6/16(日)は妻の予定がなく、子どもの送迎も家事も妻に頼めるので予備日にしてあります。この日を案件Bの追加調査や推敲に充てても6/17(月)朝の締め切りに間に合いますし、次の案件に充てることもできます。
一方、6/9(日)は妻が休日出勤なので、子どものスポーツ少年団に付き添えるのは私だけです。その準備も含めると、この日は仕事を入れられません。案件Bの推敲1を予定どおりにスタートするには、6/8(土)までに初訳を終わらせなければならないことが分かります。
しかし、万全と思ったこの方式にも落とし穴がありました。
保育園からの電話
ある朝、家事を終えて仕事に取り掛かったところで電話が鳴りました。保育園からです。
「今日はお弁当の日ですけど・・・○○くん、持ってきてないみたいで」
えっ、それって今日だったの? と驚く私に、保育士さんが言葉を続けます。
「なんでしたらコンビニでお弁当を買ってきますけど」
そうです、月に一度のお弁当の日は給食が休みで、家からお弁当を持参する日です。それが今日だということを、妻も私もすっかり忘れていました。ほかの園児が手作り弁当を食べる中で、一人だけコンビニ弁当を食べる子どもの姿が頭をよぎります。前述の予定表で進捗状況と今後のスケジュールを確認すると、まだ少し余裕がありそうです。
「うっかりしていました。急いで作って届けます」
そう言って電話を切り、すぐに台所に向かいました。炊飯器を早炊きでセットして、おかずに取り掛かります――もちろん、タコ足ソーセージと卵焼きとウサギのリンゴも。
こうして昼前に保育園に届けて一安心。家に戻り、子どもと同じ弁当をかき込みながら、午前中がつぶれた分は、夜中に取り返すことに決めました。
夕方、子どもを迎えに行くと、電話をくれた保育士さんから声をかけられました。
「お父さんの手作りと聞いて楽しみにしていましたが、すごくきれいでしたね! みんな驚いていましたよ」
それを聞いて小躍りするほど喜んだ反面、これからは保育園の月間予定表をもらったら、漏らさずEXCEL表に書き込もうと肝に銘じました。
“週1会議”で自己防衛
当たり前ですが、いくらきれいに予定表を作っても、この日のように漏れがあれば半日くらいすぐに吹き飛んでしまいます。似たような目に何度か遭ううちに、スケジュール情報を妻と共有し、確認し合う機会を週末ごとに設けるようになりました。
この“週1会議”では妻と私の業務予定に加えて、子どもの行事の準備や送迎や付き添いの分担を確認しながら、その場で各自のスケジュール帳と冷蔵庫脇に吊るす家族カレンダーに書き込んでいきます。この時、納品など絶対に動かせない予定があれば宣言し、何かトラブルが起こったら職場から戻ってもらうように妻に念押ししておきます。
正直なところ、ここまでやるのは面倒です。でも、勤め人は出勤してしまえば基本的に家事・育児にノータッチでいられますが、在宅ワーカーの側はどんなに仕事が詰まっていても、たとえ納品当日であっても、それが免罪符になりません。トラブルが起これば自分が対応するしかないのです。そして、その結果として納期や品質を守れなければ、二度と声を掛けてもらえません。だから、“週1会議”で自分を守るしかないのです。
“週1会議”で家族がパートナーに
幸いなことに週1会議には自己防衛とは別に、もっと前向きの効用もありました。
週1会議は“報連相”(報告・連絡・相談)とコミュニケーションの場です。たとえば、冬ならば「来週は大雪らしい」「なら、早めにガソリンを入れておこうか」とか、「2年生で学級閉鎖が出た」「学級閉鎖が広がっても、今週は火・木しか有休を取れない」など、いろいろな話を交わします。こうした周辺情報が、受注の判断にも家事・子育てを効率的に進める上でも役立ちます。さらに、職場や学校のようす、家族の体調、身近な出来事なども話題に上るので、どんなに多忙でも家族のコミュニケーションが保たれます。
これを毎週のように続けていると、自然と連帯感のようなものが育まれます。その結果、週1会議の場にいない子どもも含めて、家族一人一人が仕事と家庭を共に回していくパートナーのようになっていきました。いまにして思うと、これこそが最大の効用だったのかもしれません。
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次回は、こうして確保した時間を、品質と納期を守るために有効に使う翻訳作業の進め方を紹介します。

京都大学文学部卒業。MBA(ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院)。大手飲料メーカーにて海外展開事業等のキャリアを積んだ後、翻訳者として独立。家事・育児と両立しながら、企業・官公庁・国際機関向けの実務翻訳のほか、「ハーバード・ビジネス・レビュー」「ナショナルジオグラフィック(WEB版)」をはじめとしたビジネスやノンフィクション分野の雑誌・書籍の翻訳を幅広く手掛けてきた。鳥取県在住。
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