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実務翻訳のあれこれ

2009.01.05

翻訳

第1回:はじめまして


はじめまして、成田と申します。
英日実務翻訳者として仕事を始めて、今年で10年になります。
アイ・エス・エス・インスティテュート(当時は「アイ・エス・エス通訳研修センター」)に生徒として入学したのが97年。その後、ISSから3年間の派遣を経てフリーランス翻訳者になり、現在に至ります。

このたび、本コラム上にて、英語実務翻訳に関するお話を書かせていただくことになりました。
翻訳という仕事の性質上、他人になりきって書くのは慣れていても、自分でいちから書くこと、特に自分の話をすることは、どうも緊張します。
が、この10年間、生徒として、翻訳者として、また講師として実務翻訳の世界で見てきたことを、これからこの業界を目指す方にとって少しでも参考になる形で、お伝えしていけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

■貧乏性が身についたスクール時代

私がISSの門を叩いたのは97年。バブル不況のまっただ中と言われていた頃でした。ある意味昨今の状況と似ているかもしれません。
当時はとにかく仕事が少なかったので、
「仕事の選り好みなどしている余裕はない、来る仕事は原則として断ってはいけない」
と言われました。
このときに身についた貧乏性(?!)が、今に至るまで仕事の基本姿勢となっています。

当時のスクールは、翻訳事業部の横の会議室を借りて授業を行っていました。
教室を出入りする際に仕事の様子が見えて、「ああ…いつか翻訳の仕事がもらえるようになりたいなあ」とよく思ったものです。
私は大学院をドロップアウトし、休学中という身分で通っており、そうした経緯と、職歴なしから来る負い目とで、とにかく悲壮感いっぱいの生徒でした。

今、生徒のなかに当時の自分がいたら、
「妙齢の女子なんだからもっと明るくしなさいよ!! だいたい、あなたの文体は窓際族のオヤジみたいに暗くて硬いじゃないの!! 」
と叱り飛ばすことでしょう。暗い気持ちで書いた訳は読む人を暗い気持ちにさせます。そんな文章が商品になるはずがないのですが…
当時の自分はきっと
「でも論文のくせが抜けなくて…」などと言い訳することでしょう。
それに対しては、
「いつまでも昔のことにうじうじこだわってるからうまくならないのよ! 人はその気になったら40歳でも50歳でも文章を変えられる。20代の方向転換だなんて転身のうちにも入らないわよ。仕事がほしいならどんどん変わっていきなさいよ!」
と叱ることでしょう。実際、生徒さんのなかにもごく短期間のうちに劇的に文体が変わる人はたくさんいます。そして私も、現在もまだまだ文体改造中です。

■「気づいたら翻訳者になっていることでしょう」

当時、スクールで配られた小冊子には、
「課題提出→授業出席→復習のサイクルをきちんとこなし、自主的な勉強もして、また小さいチャンスにも確実に応えていけば、気づいたら翻訳者になっていることでしょう」
と書かれていました。
「『気づいたら翻訳者になっている』!? 途中を省略しすぎ! 」と当時の私は憤慨したものでした。
しかしこの一言は、その後も不思議と心に残るものでした。
そして10年選手になった今、振り返ってみると、この言葉はかなり当を得ていると思うのです。

スクールの講師は、国内電気メーカーに定年近くまで勤務したという元技術者の方でした。
この方のおっしゃったことがまた、私を奈落の底に突き落としました(笑)。
師曰く、
「実務翻訳者は、専門分野を作らなければなりません。
英日翻訳の場合それは、『電気』『機械』といった漠然としたものではなく、『電気』のなかでも『電話』、さらには『ねじ』『電線』といったレベルで究める必要があります。
そういった専門を作るには、少なく見積もっても20年かかります」
専門を作るのに20年!! すぐにでも仕事がほしかった私にとって、その言葉は実にこたえました。

しかし私は幸いにも、苦節20年には至りませんでした。
時代の変化、すなわちインターネットの登場によって、そういった専門性のかなりの部分が、検索によって解決するようになったからです。
代わって、短納期で量をこなせる仕事の速い翻訳者、さまざまな専門に柔軟に対応できる翻訳者が重宝されるようになりました。これによって、翻訳者は若い人でも目指しやすい仕事になったと言えるでしょう。私にとっても、非常にラッキーな流れでした。もし時代が変わっていなかったら、私は今も下積み中だったか、翻訳者という仕事を諦めていたかのどちらかだったはずです。

仕事が入り始めてからは、目の前の文章を、期待を裏切らないように訳すことに必死でした。20年かかるはずの専門性獲得をひたすら調べもので埋め合わせ(埋め合わせきれない場合もあり)、日々締め切りに追われ、ありがたくも馬車馬のような毎日でした。
そして今、振り返ってここまでの過程を一言で言うとなると…やはり「気がついたら翻訳者と呼ばれていた」とするのが、一番適切な気がするのです。

・・・と、ここで終わってしまうと話が発展しませんので、次回からはこの「気がついたら」の部分をもっと具体的に書いてみたいと思います。

成田あゆみ


1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。

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