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会社辞めて地方に移住して翻訳始めて兼業主夫とイクメンやってみた

2025.11.04

翻訳

第12回:東京じゃないけれど――地方で翻訳者を目ざしてみたら

第12回:東京じゃないけれど――地方で翻訳者を目ざしてみたら

私の翻訳修行はISSでスタートしました。しかし、半期のコースを終えて東京を離れたので、本格的に翻訳スキルを磨いたのも、翻訳会社に登録したのも、初仕事を受注したのも、すべて地方に移住した後でした。

◆待機児童なし

山あいの町に引っ越したのは、子どもが6か月のとき。後に「消滅可能性自治体」に挙げられる町の集落のはずれに、一軒家を借りて暮らし始めました。ご近所を見渡せば、週末や休暇に田畑を世話する3世代同居の兼業農家ばかりでした。

初めての田舎暮らしは不安が半分。同時に「翻訳作業に疲れたら窓を開け、緑の景色を眺めて深呼吸」というような暮らしを思い描き、期待も半分でした。でも、すぐに思い知りました――昼は畑の雑草を燃やす煙でのどが痛くなり、夜はカメムシが電灯の周りを飛び回って翻訳作業に集中できなくなることを。

それでも、その町で翻訳者生活を始めたのは幸運でした。子どもをすぐに町営保育園に預けられたからです。待機児童が問題になる中で、在宅の仕事だからと入園を断られていたら翻訳修行どころではなかったでしょう。

◆“普通の人”アピール

ただ、近所づきあいには気を使いました。縁もゆかりもない土地ですし、ましてや平日の日中に“大の男”が家にいて、集落が寝静まる深夜に明かりが灯っている一軒家です。いかにも怪しげなので、積極的にご近所と接するようにしました。

日ごろの挨拶はもちろん、自治会に入ってきちんと会費を納め、ゴミ当番や集落の鎮守様の燈明当番も務めました。また、総事(そうごと)と呼ばれる農業用水路や神社の清掃作業には慰労会(=飲み会)まで含めて必ず参加し、寺の盆踊りにも家族で出かけていきました。

そのうちに隣家のおじいさんが玄関に野菜を置いてくれたり、別のお宅が家庭菜園用にと畑の隅を無料で貸してくれたりするようにもなりました。同年代の子どもがいるお宅から、自作の竹樋を庭に渡した素麺流しに招かれたことも楽しい思い出です。

◆農村から地方都市へ

しかし、子どもの成長を考えると懸念もありました。まず、病院が少ないこと。それに、小中学校は各学年1クラスなので、保育園から中学卒業まで15年近くも同じ交友関係が続きます。また、町内には高校がありません。だから、下宿するか、1時間に1本足らずのローカル線で通学し、クラブ活動や雪の日は学校まで親が車で送迎です。都会と地方の教育環境の差はよく言われますが、地方都市と周縁部の格差も相当なものです。

就農や古民家暮らしが移住の目的ではない私たちは、結局、その町で5年ほど暮らした後、子どもの就学前に隣の市に引っ越しました。人口15万人足らずの市ですが、保育園や学校だけでなく市役所、銀行、病院、スーパー、ホームセンターなどがすべて車で15分圏内。翻訳業と家事・子育てを両立するには、かえって大都市よりも好都合でした。

◆地方の翻訳環境

一方、地元に翻訳の需要はなく、実務翻訳も出版翻訳も仕事の相手は東京の会社ばかり。東京からIターンした身には、なんとも皮肉なことでした。

その東京まで、山陰から車で行くと片道700キロあまり。飛行機ならば1時間半で行けますが、何万円もの運賃を考えると、セミナーだろうが営業だろうが気軽には行けません。それでも折々に「上京カード」を使って受注先を開拓したわけですが、その経緯は第3~4回で詳しく紹介したので、ここからは地方での翻訳修行を取り上げます。

◆地方にいても“真剣勝負”――トライアルとコンテストと通信添削

翻訳は英文和訳ではありません。すでに一定の英語力はあったはずですが、さらに翻訳力を鍛える必要がありました。それには、真剣勝負で翻訳する機会を増やすことが一番です。

最も実戦に近いのは翻訳会社のトライアルですが、その前の段階で活用したのは雑誌やネットのコンテストでした。地方からも応募できるし、点数やランクで実力を評価され、うまくいけば翻訳会社や出版社に紹介してもらえます。

また、当時は郵便でしたが、添削講座も利用しました。あるコースでは成績優秀者として系列の翻訳会社に登録でき、それが仕事という本物の真剣勝負への入口になりました。

◆いまもネックは情報収集

ネット検索の時代になっても、地方在住者にはハンデがあります。専門分野の関係者との交流や見本市・展覧会など、その場にいないと得られない情報も多いからです。

また、専門書やマニア向けの本で確認したくても、小さな図書館や書店しかないので頼みの綱はネット書店。でも、高価な本を、中も見ずに買うのは一種の賭けでもあります。

さらに、地元の映画館はアニメやタレント系の作品ばかり。アメリカ企業の経営スキャンダルが話題になった際は、その記録映画を見るために大阪まで足を運びました。いまは動画配信サイトがありますが、配信作品や配信時期を考えると万全とは言えません。

◆モチベーションの維持

もう一つの問題は、翻訳学校もなく、翻訳仲間もいない土地で翻訳と向き合い続けることです。同じ田舎暮らしでも家族や仲間と農業や事業を営むのと違い、翻訳者は常に一人。特に、スキルが伸び悩む時期や、受注が頭打ちの時期は辛いものです。

そこで私は、比較的近い広島や大阪でセミナーやイベントがあると、できるだけ参加するようにしていました。セミナーそのものよりも、同じ立場の翻訳者とその卵の中に身を置くことが狙いです。勉強法や業界の情報を交換し、翻訳会社や出版社の方がいれば、翻訳実績を並べたシールを名刺に貼って手渡しました。

こうした情報交換や売り込みを通じて気合いを入れ直し、同時に、都会の空気を吸って英気を養いました。いまはセミナーも交流会もオンラインで参加できますが、リアルな交流はさらに大きな刺激となるはずです。

◆ところ変われば言葉も変わる

話は変わりますが、知らない土地で暮らしていると、方言や言葉遣いの違いを発見することがあって楽しいものです。ある日、子どもが保育園で「ちょんぼし」という方言(「少し」の意味)を覚えてきました。私自身もその時に初めて耳にした言葉ですが、幼い口ぶりも相まって、かわいらしい響きがとても印象的でした。

逆に、言葉の違いに戸惑うこともあります。前に関西で暮らし始めたころには「アホやなあ」と言われて怒りましたし、イギリスでは”Have you got ~ ?”の代わりに”Do you have ~?”を連発して、「ここはアメリカじゃないよ」とたしなめられました。

国際会議で使う資料や議事録を翻訳していても、話者によって英語にお国柄がのぞきます。個人差はありますがドイツ人は単語をつなげがちだし、名詞の後に形容詞を置くのはスペイン人かイタリア人。フランス人は英語も流れるように発音することが多いので、文字起こしして渡される英文原稿に「聞き取り不能」の箇所が多いようです。一方、日本人の英語は表現も論理立ても「日本人ぽい」ことが多く、理解も翻訳もしやすいので助かります。

◆言葉のほかにも変わるもの

言葉以外にも国によって異なるものがあります。たとえば、小数点と千単位の位取りのピリオドとカンマの使い方が、日本や英米と逆の国があるのです。つまり、日英米では1,234.5と書くところが、イタリアやドイツなど多くの国で1.234,5となります。

当然ながら訳文は日本式で表記しますが、一人の発表資料の中に両者が混在していることがあります。国際会議用に新たに作成した資料には日英米式で記載したのに、そこに母国での会議で使った逆方式の図表をコピペで追加した結果、混ざってしまうのです。

たとえば9.876という数字は、日本式なら整数部分が9で小数点以下が876ですが、逆の方式ではその千倍を意味します。誤った判断を招きかねないので、時には専門の論文と見比べながらの作業になり、とても骨が折れます。このほかにもスペースで区切る国や、位取りの位置が異なる国もあるので注意が必要です。

***

次回は、連載の初めに挙げた5要素の最後の一つ、「年齢」を取り上げます。

鈴木泰雄


京都大学文学部卒業。MBA(ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院)。大手飲料メーカーにて海外展開事業等のキャリアを積んだ後、翻訳者として独立。家事・育児と両立しながら、企業・官公庁・国際機関向けの実務翻訳のほか、「ハーバード・ビジネス・レビュー」「ナショナルジオグラフィック(WEB版)」をはじめとしたビジネスやノンフィクション分野の雑誌・書籍の翻訳を幅広く手掛けてきた。鳥取県在住。

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