相田倫千のプロの視点『通訳キャリア33年の今とこれから 〜英語の強み〜』
2026.02.02
通訳
第26回:経済・パンデミックなどの危機を乗り越えて
アイ・エス・エス・インスティテュート 英語通訳者養成コース講師 相田倫千
皆様こんにちは。今週はとても寒いですね。外を散歩していても頬が痛いほどです。受験生の皆さんはここからが本番。体調の管理をして、悔いのないようにしてください。それにしてもいつも思うのは、何故一年の中でも降雪がありインフルエンザが猛威を振るうこの時期に、その後の人生を決める可能性のある試験の日程を日本全国で組むのか?ということです。欧米は新学期が9月なのもあり、受験も気候が良く、体調も管理しやすい時期に組みこまれています。いつか受験の日程も変わることを祈ります。というのも、私は一校受けたあとにインフルエンザに罹ってしまったからです。
さて今月は、「危機(金融、自然災害、パンデミック)を乗り越えて通訳を続ける」という内容で書きたいと思います。そして、その危機の後も、その前と変わらずまたはより良い状態で仕事を続けている通訳者は、その危機の時に何をしてどう乗り越えたのか?起こった危機を、時系列に追っていきます。
まず2008年の金融危機、リーマンショックです。
企業の業績が落下し、新規採用(新卒も含めて)を凍結し、経済が冷え切りました。企業は支出を凍結しコストを切り詰めるので、通訳への支出も減りますし案件は減りました。
しかし私の専門分野であるテクノロジー、自動車、ITの研究開発は、金融セクターではなかったため、一時的な減少はあったものの激減はしませんでした。また自動車企業は、新モデルを出すサイクルが決まっていて、金融危機だからといってそのサイクルを延期したりはできないからでしょう。一社だけ新車のサイクルを延期しても、他社が新モデルを出せばそこで顧客を取られてしまうからだと思います。一度車のブランドを乗り換えると、その後5年から10年、その顧客は戻ってきません。テクノロジー分野も同様で、間接部門の案件は減りましたが、研究開発は特に減ったという感覚はありませんでした。
金融危機の場合は、一律に通訳業界が影響を受けるというよりも、どの分野にいるかによって、その影響や経験も違っていたと思います。
その次に来たのは、2011年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震です。この日私は、しばらく住んでいた群馬県太田市へ出かけ、地元の友人たちとランチをしていました。するとレストランが揺れ始め、揺れがだんだんと大きくなり、レストランの中央にあった小さな池の水が外にあふれ出しました。様子見をしていたランチ時の客たちは、一斉に「きゃー」と言って、外へ飛び出しました。道路では、大型トラックが地震の波に揺られ、まるでサーフィンをしているようでした。
その後仕事はどうなったかというと、全てが止まり、仕事はオールキャンセルとなりました。3月中旬から月末まで案件が連続で入っていたのですが、全日程キャンセル。来日していた外国人には即帰国命令が下り、全員帰国または来日中止になりました。どの企業でも似たような処置がとられたようです。これは福島原発事故が海外に大々的に報道されたことと、安全上の理由でしょう。
ある通訳者は仙台に出張中、実家も仙台だったので、出張に来ていた外国人とともに実家に避難して数日過ごし、その後都内に戻ったと聞いています。その外国人はとても感謝をして帰国されたようです。またある通訳者は、エージェントに連絡をして、この先の案件はすべてキャンセルになることを確認したのち、実家へ戻り、避難生活をしたようです。皆が非常事態になったのです。
この頃私は、某企業と専属契約で通訳をやっていたのですが、海外からの出張者がゼロになったので、出社をして翻訳をするオファーを受けました。交通機関もかろうじて回復していたので、無理のない範囲で週2日勤務をしました。
通訳業界自体、或る一部を除きストップをしてしまったようです。
この時は事態が収まるまで待つしかりありませでした。
でも意外に早く、案件は戻ってきましたし、3か月も経つと、ほぼ元通りになったと思います。
この危機は「待つ」ことで乗り越えることができた事例です。
そして三つ目は2020年に突然起きた、COVID19コロナパンデミックです。
前述の二件の危機とは全く違った規模と性質で、通訳業界だけではなく、世界規模で経済や政策を変え、働き方を根本から変えることとなりました。
まだ記憶に新しく、細かく書く必要はないので略しますが、通訳者はどう行動して、パンデミック後に不死鳥のようによみがえったのでしょう。
2020年3月から5月までほとんどの仕事はストップ。対面現場の案件はなくなり、とても不安な二か月でした。この二か月の間(少なくとも私のクライアントさんの)企業は、リモートワークの準備をしていました。社員にPCを配布、ネット環境を整えセキュリティ対策もということでひと月以上かかります。収入は90%減。10%は、もともとリモート化できていた企業の記者会見や会議が月に数件入っていた結果です。政府がフリーランス対象に補助金を出し、それも活用しました。
当初「あー、私の通訳人生終わったな」と思いました。そして「人間の健康や医療は残るだろう、そちらに転向しよう」と思い、毎日医薬関係、特に癌の研究などのYouTubeをひたすら聴きました。また免疫や人間の身体の仕組みなどの本を買ってきて勉強しました。
結局その後も分野を変えず、案件も戻りましたが、ITの分野では医療とAIを組み合わせることも多く、病名や少しの医学の知識や用語はおさえたので、役に立っています。
今から振り返ると、このパンデミックの間は仕事もなく暇で、好きな勉強ができた唯一の時期でした(笑)。
パンデミック後はリモート通訳という形で仕事が戻り始めました。また現場リモート案件(現場に行ってそこでリモート通訳する形式)も生まれました。徹底した通訳スキルアップをし、物理面では投資をして、デスクトップ2台、バックアップ用のラップトップ4台、ポッドキャスト配信者用のマイクやイヤホンのセットを購入し、部屋をスタジオ化しました。「何があっても通信の不具合もなおせる通訳」というプロフィールを確立しました。エージェントには、「通訳側でできることは全部している相田さんに不具合が出るなら、通信障害かクライアントさんに問題があるのでしょう」とまで言っていただけるようになりました。
そして今は、リモート通訳と現場少しというバランスで楽しく負荷なく仕事を継続しています。
この頃にリモート通訳ができる環境にしたので、現場とリモートとのバランスが取れています。
尚、2002年~2003年にはSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行もありましたが、その頃私自身はほとんど仕事をしていなかったので、この時期について書くことは控えておきます。
このように、人生の中には何度か「危機」が起こります。その時にパニックにならず、落ち着いて次の手を打った通訳者(通訳者に限りませんが)は、その危機が終った時には、前よりも良い状態になっていることが多いと感じます。「待つ」ということも大切な要素なのだと思います。
パンデミックの時に辞めてしまった通訳者も知っています。残念だと思うことも多いです。あと1年待っていれば状況は変わったのにと。
今これを書いているとき、イランでは体制が変わるかもという規模の民衆蜂起が起きています。
石油の価格や地政学上のバランスが大きく変わる可能性のある重大な出来事ですが、日本の伝統的メディアでは当初、あまり取り上げていませんでした。でも、英語のできる人は海外のニュースを視聴して、次に何が起こるかをつかむことができます。それによって、投資の判断をしたり次なる分野を見極めることができます。コラムの本筋から外れていますが、個人個人が情報を精査し収集し将来の判断をすることは、このコラムの本題である「危機を乗り越える」戦略にも大切なのです。
さて今月は以上です。
来月は最後のコラムになりますので、キャリア全般についてを含めて、皆さんにエールになうような内容を書いて筆(キーボード)をおきたいと思います。

大学卒業後、米ニューヨーク州立大学、オレゴン州立大学大学院でジャーナリズム学び、帰国後、ISSインスティテュートに入学。現在はフリーランスの会議通訳・翻訳者として、IT、自動車、航空機、人工知能などのテクノロジー分野と特許など法律のエキスパートとして活躍中。
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