ISSライブラリー ~講師が贈る今月の一冊~
2022.01.06
スキルアップ
第63回:友永晶子先生(英語通訳)
先生方のおすすめする本が集まったISSライブラリー。
プロの通訳者・翻訳者として活躍されているISS講師に、「人生のターニングポイントとなった本」「通訳者・翻訳者として必要な知識を身につけるために一度は読んでほしい本」「癒しや気分転換になる本」「通訳・翻訳・語学力強化のために役立つ参考書」等を、エピソードを交えてご紹介いただきます。
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今月は、英語通訳者養成コース講師、友永晶子先生がご紹介する『リーチ先生』(原田マハ著, 集英社文庫, 2019年)です。
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物語を読むのが好きで、仕事上読むべき実用書よりもついつい小説に手を出してしまうのですが、こちらも、そんな一冊です。そこそこのボリューム感があり、100年前の世界をゆっくり味わい楽しむことができる包容力のある物語です。
手に取ったきっかけは、自分の故郷大分が登場するからという単純なものでした。
山の多い大分県でもいちばん奥まった小鹿田の里、昔ながらの技法で素朴な味わいの焼き物を作り続ける半陶半農の小さな集落・・・という大分の片田舎は物語の導入だけで、話は明治後期の横浜から東京、そして英国セント・アイヴスへ、時と場所を超えて読者を民藝の世界へ誘います。
タイトルの「リーチ先生」ことバーナード・リーチをはじめ、柳宗悦や濱田庄司など、20世紀前半に活躍した思想家や芸術家たちが若い情熱を注いで陶芸の文化を花開かせる道のりを追う、これは基本的には伝記的小説です。明治から大正にかけての世の中の動きや、当時の芸術のスピリットを学ぶことのできる、良質の美術史解説とも言えるでしょう。美術に詳しくない私のような読者でも話の展開に沿って陶芸への理解が進むようにできています。
ストーリーは、リーチの助手・亀乃介の視点を中心に語られます。白樺派の他の登場人物と違って、天涯孤独、学歴・知識が浅い中、周りの芸術家たちの感性や生き方に対して、素直に謙虚に誠実に感動し、成長してゆきます。これが美しい物語になっているのはこの亀ちゃんの純粋すぎるくらいのキャラクターに負うところが大きいのですが、実はこの人物は実在しないフィクションなのです。途中で知って、思わず「えっ?この人だけウソなの?」と信じられない気持ちで、登場人物を改めて検索して確認して・・・という作業を思わずやってしまったのは、多分私だけではないはず。架空の人物を動かして史実の描写の鮮やかさを際立たせる、というのがこの作者の得意技で、他の作品も、どこまで史実でどこからフィクションか、考えながら読むのもひとつの楽しみ方だと言われたりもします。でも、虚実はさておき、物語として、伸びやかで魅力的なのは確実です。
リーチや柳の大切にする価値観として民藝の無名性が語られます。東洋と西洋の架け橋を目指しして来日し、無名の職人の手による器に用の美を見出したリーチ、それに答えて「名もなき花」の生き方を選ぶ亀乃介。二人の交流のきっかけは、亀乃介がリーチの通訳を務めたことでした。子供の時に横浜で外国人が集まる食堂で働いていたことで英語での会話に困らない、という設定なのですが、リーチの元で陶芸を学び、英語もさらに磨く勉強熱心なその姿は、見習うべきだなとしみじみ思います。名もなき花として丁寧な仕事をするというのは、通訳のしごとに通じるのではないか、とこじつけたところで、おしまいにいたします。よかったらどうぞご一読ください。
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友永 晶子(ともなが しょうこ)
大阪外国語大学を卒業後、国内メーカー勤務を経て外資系企業で秘書を務める。その後、アメリカ人上司からの依頼で、通訳・翻訳の仕事を始め、さらに在学中からISS通訳グループのOJTでも通訳の経験を積む。現在はフリーランス通訳者として稼働中。
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