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鈴木泰雄のプロの視点『会社辞めて地方に移住して翻訳始めて兼業主夫とイクメンやってみた』

2026.03.02

翻訳

第14回 人生をやり直せたら、どうする?――AI時代に夢はかなうか

第14回 人生をやり直せたら、どうする?――AI時代に夢はかなうか

翻訳者 鈴木泰雄

 ある程度の年齢になると昔の情景がふと蘇り、「あの時、○○していたら・・・」と思いを巡らせることがあるものです。ただ、私の場合、この○○に「翻訳業に挑戦」という言葉は入りません。曲がりなりにも一歩を踏み出してみたからです。

◆諦めなければ夢はかなう? 

 いくら夢があっても、行動に移さなければ夢はかないません。

 一方、オリンピックの金メダリストなどが「諦めなければ夢はかなう」と語ることがあります。でも、それは夢がかなった人だから言える言葉。金メダリストの陰には、すべてを夢に捧げても才能がわずかに足りずに、あるいは、運に恵まれずに舞台を去った選手が数多くいたはずです。  つまり、一歩を踏み出さないと夢はかなわないが、いくら努力しても夢がかなう保証はないのが現実です。

◆どの神様の前髪をつかむ?

 また、「幸運の神様には前髪しかない」という言葉もあります。チャンスが訪れたら、その時につかまないと後からはつかめないという意味です。

 とはいえ、大きな成功をもたらす神様もいれば、小粒の果実一つを携えた神様もいるでしょう。また、受け取った幸運によっては夢から遠ざかる方向に人生が動き出すかもしれませんし、受入準備が整っていなければ、せっかくの幸運もやがて枯れてしまいます。さて、20数年前に私が前髪をつかんだはずの神様は、どんな幸運を私に与えてくれたのでしょうか。 

◆かなった夢・かなわなかった夢 

 まだ駆け出しのころ、翻訳者向けのセミナーやイベントの後の交流会でよく耳にしたのは「1冊でいいから翻訳書を出したい」という夢でした。「印税ゼロでも」という方もいる中で、私は早い時期にこの夢をかなえられたし、幸い1冊で終わることもありませんでした。

 しかし、かなわなかった夢もあります。訳書を何冊か出したころ、ある出版社から、当時アメリカで話題の本の版権が取れたら翻訳を依頼したいと声がかかりました。それから数か月の間、私は分量が多めの案件をすべて断り、いつでもすぐ、この“夢のプロジェクト”に取り掛かれるようにして吉報を待ちました。しかし、ある日、版権が取れなかったと告げる短いメールが届きチャンスは消えました。

 それから何か月か過ぎた朝、テレビをつけるとこの本の邦訳が紹介されていて、翻訳者がインタビューに応じていました。やがて、この本はベストセラーとなり、その邦題は流行語にもなりました。

 その後の私に、メジャーな本を訳す機会が訪れることはありませんでした。あのとき版権が取れていれば、そこから仕事の幅を広げて頻繁に東京との間を行き来したり、時には海外を訪れたりする日々を送っていたかも・・・。力不足を棚に上げて言えば、私の神様が手にしていた幸運は特大ではなかったようです。

◆さて、やり直せたらどうする?――ブラックな“夢の職業”

 それでもなお、読んだり書いたりが好きだけれども組織や規則が苦手な私には、翻訳業は夢のような職業です。しかも、語学力・専門知識・経験を生かしながら新しい知識や情報に触れられるし、世間からも一定のリスペクトを得られます。

 半面、何があろうと一人きりで納期と品質を守らねばならず、経済的にも交渉面でも立場が弱いというブラックな側面もあります。それでも、時間の使い方を自由に決められる“特権”を生かして夫婦両方のキャリア、「家庭人」「生活人」としての暮らし、そして健康を手に入れ、それなりに楽しくやってきました。

 ですから、20数年前に戻ってやり直すとしても、やはり同じ道を歩むでしょう。ただ、一つだけ変えるとすれば、5要素の一つである「場所」として山陰ではなく、東京から車や電車で2~3時間の地方都市を選びます。翻訳業の中心であり、故郷でもある東京に近ければ仕事の幅がもっと広がるかもしれないし、Iターンで疎遠になった友人・知人とも親交を深められるからです。

◆AI時代の選択は?

 しかし、同じやり直すにしても20数年前に戻るのではなく、この2026年に若返って人生をやり直すとしたら? 生成AIの目ざましい進歩を見ると悩まざるをえません。

 試しにトランプ大統領の動向を報じた米紙の記事をChatGPTにかけてみると、10秒足らずで訳文が返ってきました。多少の粗(あら)はありますが、概略を理解するには十分です。字数を指定して要約させても、大きな問題はありません。

 かつて私も、企業や官公庁向けに朝一番で海外ニュースを和訳する仕事を請け負っていました。しかし、AIがここまで来ると、そうした案件は減らざるをえません。細部の修正や読者に合った言葉遣いへの置き換えを人手に頼るとしても、わざわざ外注するか疑問です。

 そこで改めてパソコンに向かい、ChatGPTに「翻訳業の将来性は?」と尋ねてみたところ、「分野によって大きく二極化する」という回答が返ってきました。AIとの競合や低価格競争に直面して一般的な翻訳の将来性は限られるが、人間にしかできない専門的な翻訳は今後も安定した需要が見込めるというのです。後者の例として挙げられたのは法律・医療・技術などの高度な専門分野と、文化の理解やターゲット層に響く言葉遣いが求められるローカライゼーションなどの分野でした。

 生成AIの特性からして、こうした将来予測はネットなどで語られている情報を集約したものでしょうし、そもそも数十年も先の、AIがさらに進化した果ての翻訳業の姿を言い当てるのは誰であれ難しそうです。となると、若返った私は、もうしばらく会社勤めを続けるか企業内翻訳者となって、翻訳という仕事の行く末を見極めようと考えるかもしれません。技術の進歩と業務内容や働き方の変化を見定めつつ、個人では手が出ない最新のAI/ICTツールを使いこなすスキルを会社で習得しながら、将来に備えて力を蓄えるという作戦です。

◆若返った自分に贈る言葉

 実は先ほどの将来予測を尋ねた後、さらに「翻訳業を目ざす若者を励ます言葉を」とChatGPTに頼んでみました。その回答の中に、次のような言葉がありました(※)。

            ・言葉を訳すことは価値を伝えること  (To translate is to convey value.)

            ・翻訳は知識と感動を世界に届ける仕事

                          (Translation brings knowledge and inspiration to the world.)

                                                                                                〔※日英ともにChatGPTによる。〕

 時代が移り、技術が進み、社会や暮らしが変わっても、「言葉に込められた価値を伝え、知識と感動を世界に届ける」営みは続きます。

 2年前の連載第1回に、私は次のように書きました。

「翻訳にかかわる職業に就くには(中略)フリーランス翻訳者になるほかにも、派遣や直接雇用の形で社内翻訳者になるという選択肢があります。また、翻訳会社でコーディネーターなどとして働く道もあります。さらに広くとらえれば、出版社や報道機関や国際NPOなどで海外の著作物や情報を扱う仕事でも翻訳のスキルを生かせるでしょう。」

 外国の言葉に込められた価値を知識や感動として人々の心に届ける職業は、こうした旧来の翻訳者のイメージをさらに超え、AIと共存しながら、さまざまな姿で生き残っていくことでしょう。そして、そこでは言葉を深く理解し、心に響く言葉で的確に伝える力が、これまで以上に求められるはずです。2026年に若返った私には、いまこそ専門性を高め、異文化への理解を深め、英語力と日本語の表現力を磨けと声を掛けてやろうと思います。

◆最後に 

 これで私の連載を終わります。長らくお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 貴重な掲載の機会を与えてくださったISSの皆様、とりわけ、東京校から数えて20年以上にわたり節目節目にお声をかけていただいたYさんと、長い連載の間、常に優しく伴走してくださった二人のAさんに、心より感謝申し上げます。

 また、私が曲がりなりにも翻訳者を名乗ってこられたのは、多くの実務的な知識と経験を与えてくださったサラリーマン時代の先輩諸氏のお陰です。中には、駆け出しのころにご厚意から翻訳案件を回していただいたのに、転居等にまぎれて連絡がかなわない方々もおられます。この場を借りてお礼を申し上げます。

鈴木泰雄


京都大学文学部卒業。MBA(ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院)。大手飲料メーカーにて海外展開事業等のキャリアを積んだ後、翻訳者として独立。家事・育児と両立しながら、企業・官公庁・国際機関向けの実務翻訳のほか、「ハーバード・ビジネス・レビュー」「ナショナルジオグラフィック(WEB版)」をはじめとしたビジネスやノンフィクション分野の雑誌・書籍の翻訳を幅広く手掛けてきた。鳥取県在住。

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