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2025.12.02

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第48回 Surveillance Pricing:監視に基づく価格設定

第48回 Surveillance Pricing:監視に基づく価格設定

「買う気」情報の価値

家電量販店での値引き交渉が得意です。気弱ですし話術もありません。コツはただ一つ。大して買う気がない段階で行くこと。いえ、「行く」のは買う気があるときなので、ふらっと立ち寄ることです。

たとえばテレビを買って10年以上経っているとしましょう。立ち寄ったテレビコーナーに「別に今買い替える必要はまったくないけど、これだったらいいな」という機種がありました。価格は税込み10万円。見ていると店員さんが寄って来て、熱心に薦めてきます。ネギを背負ったカモを料理するはずが、毒牙を持つクモの巣にかかったとも知らずに。

私は、おそらく無理だろうけど万一OKなら買ってもいい、という価格を言ってみます。「そうですねえ、5万円なら今買ってもいいんですけどねえ…」。もちろん大抵は無理。でも構いません。そもそも買う予定ではなかったわけですから。ですが、何らかの事情で最終的にOKになることもあります。気弱でも、話術がなくても大幅ディスカウント成功です。

壊れてしまってすぐに買い替える必要がある、という状態ならこうはいきません。そんな思い切った希望価格の提示はできないでしょうし、足下を見られるかもしれません。こちらの買う気を知られてしまえば、それこそカモネギにされてしまうのです。

その重要な、消費者サイドとしては見せたくない「買う気」情報をのぞき見した上で値付けする仕組みが、広まりつつあります。それがsurveillance pricing(監視に基づく価格設定)です。オンライン上での挙動を監視し、それをもとにAIを活用して買う気などを判定して、その人向けの価格を設定するというシステムです。

監視されるのは、たとえば購買履歴。5つ星ホテルを予約した人に対して、航空会社は3つ星ホテルを予約した人に比べて、高いチケット代を提示するでしょう。そうした懐具合のみならず、オンラインショップでカートに入れっぱなしにしている物、サイト上でのマウスカーソルの動きなどから、買う気も見透かされ、それ次第で値段を吊り上げられてしまいます。

価格や料金を変動させるdynamic pricingは昔から存在しますが、これまでは予測される需要量など、市場のデータが活用されていました。surveillance pricingの問題は、個人のデータをこっそり利用する点です。ユーザーが知らないうちに同意しているとしても、プライバシーをのぞき見てその情報を商売に利用するというのは、卑怯ではないでしょうか。

情報の非対称性

買い手と売り手の間で情報量が違う状況、information asymmetry(情報の非対称性)が生まれると、市場は歪みます。よく知られているのがlemons market(レモン市場)です。lemonとは、欠陥のある中古車のこと(優良な中古車はpeach)。中古車の質や欠陥は、売り手が熟知していても、それを外から見るだけの買い手には分からない。そのため、懐疑心のせいでなかなか買おうとせず、中古車市場全体の相場が下がる。その結果、市場に出回るのは欠陥車ばかりになる、という経済理論です。

surveillance pricingも、買い手の懐具合や買う気などの情報が売り手に渡ることによってinformation asymmetryを招き、買い手にとってunfairな市場を作り出します。買い手が「どうしても買いたい」と分かっていれば値を吊り上げやすくなる。一方、売り手が「どうしても売りたい」と分かっていれば値引きを要求しやすくなりますが、買い手は「買う気」を相手に知られるだけで「売る気」を知ることはできないのです。

結果的に、実店舗がオンラインショップに奪われていた勢いを取り戻す可能性があります。surveillance pricingを避けたい消費者にとって、信用できるのは個人データを利用できない対面販売になるからです。 また、同一製品でも人によって違う価格が提示されることから、その情報をまとめた価格比較サイトが生まれるかもしれませんね。それと比較して自分向けの価格が高いことに容易に気づくようになれば、販売サイドもこの値付け方法を自重することになるでしょう。

ちなみに、surveillance pricingは「監視価格設定」と訳されがちですが、これでは内容を理解しにくいように思います。「監視に基づく価格設定」あるいは「監視型価格設定」などとするべきでしょう。普及すればカタカナ化しそうですね。いち消費者としては、そうならないことを願いたいものです。

村瀬隆宗


慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

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