ISSライブラリー ~講師が贈る今月の一冊~
2021.03.05
スキルアップ
第57回:村瀬隆宗先生(英語翻訳)
先生方のおすすめする本が集まったISSライブラリー。
プロの通訳者・翻訳者として活躍されているISS講師に、「人生のターニングポイントとなった本」「通訳者・翻訳者として必要な知識を身につけるために一度は読んでほしい本」「癒しや気分転換になる本」「通訳・翻訳・語学力強化のために役立つ参考書」等を、エピソードを交えてご紹介いただきます。
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今月は、英語翻訳コース講師、村瀬隆宗先生がご紹介する「Death」(Shelly Kagan著, Yale University Press, 2012年)です。
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去年は受験生の息子と一緒に世界史と倫理を一通り学びました。「勉強ガンバレ」と人に言うなら、自分も勉強すべきではないかと思いまして。それに何事にも「体幹」が必要。つまり、情報だらけの時代だからこそ、ブレない思考を持つには基礎学力の強化が大切です。予備校などのオンライン授業を一緒に受けられた、というのもあります。
実用という意味では、世界史の知識はコロナ後の通訳ガイド業で、日本の歴史を世界史の文脈の中で説明するという形で生きることでしょう。だけど倫理はどうなんだろう、と我ながら思いました。ところが今、哲学が少しだけ絡む書籍を翻訳しています。そうなんです!人と話したこと、テレビで聞いたこと、ネットで調べたこと、すべてがいつか訳に立つ、いや役に立つ(かもしれない)。翻訳業とはそういうものです。
せっかく身に着けた高校倫理の知識を生かして読んでみようと思ったのが、今回紹介する『Death』です。日本では邦訳書『「死」とは何か』(文響社)がベストセラーになりました。人は死ぬとどうなるのか。誰もが興味を持つ一方で敬遠しがちなこのテーマについて、科学ではなく宗教でもなく哲学の観点から考察する本です。
と言うと、相当難しそうだと思われるかもしれません。私も身構えて読み始めました。ところが、これが非常に読みやすいんです。本校の英語翻訳者養成コース基礎科で学ばれている方なら十分に読めるでしょうし、本科の方なら邦訳書より速く読めるはずです。抽象的な観念や入り組んだ思考も、平易なライティングで十分に伝えられる。それを確認することもできます。
イェール大学で教える著者のシェリー・ケーガン教授は、「soul(霊魂)は存在しない」、だから死んだらすべてジ・エンド、という自らの立場を冒頭で明らかにしています。その上で反論をひとつひとつつぶしながら論証しつつ、死の意味、そして生きる意味を哲学者として説いていきます。倫理で学んだことも出てきましたが、そういう知識を前提とせず、時にクドいと感じるほどかみ砕いて論理を展開しています。
しかし私は、この本については特に、きめ細かい論理展開の中に穴を見つけ出そうとしながら読みました。霊能者の故宜保愛子さんの大ファンで、霊能犬ゼロが活躍する漫画『うしろの百太郎』が大好きだった自分としては、soulが存在しないと大変困るのです。
それに、学び続けている英語や翻訳が「死んだら全部無になる」と考えるとむなしい気もします。そんな自分の考えに影響するほどケーガン教授の論調は説得力を持っていますが、死後の世界を信じたいロマンチストにとっては、批判的思考のトレーニングにも役立つ本と言えるでしょう。
そして翻訳学習者または翻訳者として大事なのは「これ、自分ならどう訳すだろう?」と時に考えながら読む姿勢です。例えばこんな文がよく出てきます。
Might I survive my death?
何となく意味を理解するだけなら高校生でもできそうですが、訳すとなるとなかなか難しくないでしょうか?surviveに辞書的な訳を充てても、うまくいきそうにありません。繰り返し出てくるキーセンテンスなので、訳の簡潔性も求められます。「死後の世界はあるか?」という訳も文脈によってはあり得ますが、この本ではまさにそれについての説明の中で出てきているので、もっと具体的に訳す必要があります。
こんな文に出逢ったらマーカーを引いて自分で考えてみて、あとで邦訳書の柴田裕之先生の訳と比べてみるのも面白いですよね。この文の私の訳ですか?そうですね、まず皆さんに考えてもらいたいので、学校やオンライン授業でお会いしたときに、お互い披露し合うことにしましょうか。
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村瀬 隆宗(むらせ たかむね)
慶應義塾大学商学部卒業。スポーツ、金融・経済、工業系を中心に産業翻訳から映像翻訳、出版翻訳までこなし、20年以上4人+1匹家族を養う。通訳ガイドとしても稼働中。
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