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インタビュー第五弾

ISSグループは、おかげさまで創業50周年を迎えました

ISSまたは日本における通訳・翻訳の黎明期に活躍された方々から、ISSグループ創業50周年を記念して、当時の思い出やこの業界の現在、未来についてお話を伺い、シリーズ連載を展開しています。

第五弾は、創業時のISSにおいて、多くの案件について通訳者としてご活躍され、またアイ・エス・エス・インスティテュートでの臨時講師などもされていた大井 孝氏(日米会話学院 学院長)にお話を伺いました。

大井 孝氏

東京学芸大学名誉教授、東京大学国際工学教育推進機構バイリンガルキャンパス推進センター外部評価委員、仏政府給費留学生選考委員、日米協会理事、大学セミナーハウス評議員、米国ニューヨーク州Elmira College元理事、同大学名誉文学博士、元フルブライト給費留学生選考委員。
パリ第二大学政治学国家博士(仏政府給費生)、コロンビア大学政治学修士(フルブライト給費生)、早稲田大学大学院政治学修士・博士過程修了、同大学政治経済学部卒。元米国国務省言語サービス部嘱託通訳・英仏語会議通訳。
近著「欧州の国際関係 1919-1946」たちばな出版。

【Interviewer】筆谷 信昭氏(創業者子息、元代表取締役社長)

まず、ISSが誕生した1960年代前半の時代背景を含めて、創業時のことやISSとのかかわりについてお伺いしたいのですが。

大井氏

ISS設立に貢献された知人の紹介で「ISS(当時の東京ヒルトンホテル/現キャピトル東急ホテルにオフィスがあった)という通訳・翻訳のエージェントができたので、そこで一緒にやりませんか?」とお誘いを受けたのがきっかけです。

当時は早稲田の大学院生で時間的な余裕もあり、ISS(当時はISSの前身である、株式会社インターランゲージ・サービス・システム)から多くの通訳案件のお仕事をいただきました。当時、通訳・翻訳の仕事をするのは個人紹介がほとんどで、エージェント経由で仕事を紹介されるケースは少なかったと思います。印象深いのは、テレビのモーニングショーで担当したアラン・ドロンのインタビューですね。その他にはバチスカーフという潜水艇が日本に来た時の海洋学者ジャック・クストーの通訳など、歴史的なイベントでの通訳は印象が残っています。その通訳の経験は、その後、アメリカやフランスへ留学した際にもすぐに生かすことができました。国際化の流れもあって、多くのビジネスマンが海外へ進出する初期の時代でしたので、授業の合間を縫って同行通訳など多くの仕事をすることができました。

アメリカ留学から帰国してフランス留学までの時期(1969-1972年)は、他エージェントでの仕事もしていましたが、ISSでは養成学校から頼まれて通訳クラスの講師もしました。また、2009年に日米会話学院が受託した警視庁の年間の語学研修についても、中国語の部分をISSで担当していただいたりして何かとつながっていますね。

今回、改めて、通訳の原点は東京ヒルトンホテルにあると思いました。そこで多くの仕事を紹介していただき、通訳経験ができたことが非常に影響していると思います。

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次に、英語を学ぶきっかけと通訳を志す経緯についてお伺いします。

大井氏

出身が函館なのですが、函館は隠れキリシタンの存在や日米和親条約で開港した歴史的背景もあって、西洋文化が早くから浸透していた場所です。幼少の頃から西洋文化や英語に馴染みがある環境で育ったのが影響していると思います。もちろん、終戦が価値観を大きく変えたこともあります。幼い自分にも、当時の米兵や若い米国人が英語を話す姿は魅力的に映っていましたね。教会から派遣される若い米国人たちが小中学校を訪問してくるのですが、「英語が使える」ことへの「憧れ」という意識が芽生えたのを覚えています。

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当時、英語ができる人材も少なかった時代だと思いますが、何か影響を与えることがあったのですか?

大井氏

自分の伯母の影響が大きいですね。伯母は、戦前、ミッションスクールに通っていまして、そこは全寮制で米国人教師も一緒に暮らしていたので、日本にいながら英語で生活をしていたらしいのです。結婚してからも伯父の仕事でシドニーに暮らしていたので英語は充分にできた人でした。戦争が始まってからは神戸に帰国し戦後は函館に戻って近くに暮らしていました。英語が使える伯母は、街なかで米国人相手に困っている駅員やお客さんの姿を見ては間に入って通訳していたらしいです。ある時は、進駐軍と一般の方がやりとりしているのを英語で手助けした際、その英語力が軍人の目に留まり、伯父が東北の米軍基地の要職に就くきっかけとなったという話も聞いたりしていました。占領時代の函館や横浜という港は一気に西洋化が進んでいて一時の英語学習ブームもありましたが、英語を流暢に使う伯母の影響が大きいと思います。

そのような環境もあって、自然と英語の勉強をするようになったと思います。学生になってからは、通訳という仕事に出会える機会があって、留学前はISSで、留学した先では元米国国務省言語サービス部嘱託通訳等の経験を積むことができたのは恵まれていましたね。

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大井氏は、現在も日米会話学院 学院長として英語教育の現場で教鞭を執られています。今は、英語を学ぶ環境も恵まれて英語が使える人口も増えているように思いますが、英語学習者について、今と昔を比べて何か違いはありますか?

大井氏

まず思うのは、英語教育が盛んになってから久しいですが、通訳需要は減少することがないということです。つまり、日本の英語教育のあり方に何か問題があるのではないかとも思いますね。英語学習者の平均レベルも落ちているのではないでしょうか。様々な教材も開発されて学習環境は恵まれているはずですが、今の学習者の平均レベルの方が低いと感じます。英語に関わる背景や知識が浅いこと、そして、「正しく英語を使う」ことの意識が薄いような気がします。

ビジネスで英語ができると思っている人と、正しく通訳ができる人は違っていて、MBA取得者等のビジネス英語ができると勘違いしている人が、実は正しく英語でのコミュニケーションができていないというケースを見かけます。例えば、通訳者が競合相手の全体を「competition」(競合/集合名詞)と訳した際、あるビジネスマンが「それは”competitor”だ」と指摘したらしいのですが、文脈からは具体的な特定の競争相手(competitor)を表現している内容ではなかったのです。このようなケースはほんの一例で、他にも間違った英語の使われ方は多いですね。

現在、日米会話学院でも「上級時事英文講読」という科目で、国際間題に関する短い専門論文などの上級英文の用語法、表現、真意を理解することを教えていますが、これは、単に語学スキルの向上というだけではなく、英語に関わる教養を身につける訓練という意味合いも含んでいます。

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英語に関わる教養など、英語教育という点では、通訳業界の将来性にも影響が大きいと思いますが、日本の英語教育についてお聞かせください。

大井氏

現在も通訳需要は確実にあって、これは今後も変わらないと思います。通訳ソフトなどの技術進化で日常会話程度なら自動化されていくでしょうが、政治やビジネス等のシーンにおいては通訳はなくなりません。

これは反面的ではありますが、私たちが英語を学び始めた時代から、あるレベル以上(本質的に通訳ができる人材)の英語教育をしてこなかったという現実でもあります。日本は、良い意味でも悪い意味でも悪平等主義というところがあって、英才教育をしないという原則があります。英語嫌いの子供にも無理やり教えているところがあって、現場の教師は、できる子にもできない子にも平等に教えないといけないというやりにくさがあります。英才教育になるかもしれませんが、レベル別に適正な授業内容で教育をしていくことが必要だと思います。ある統計によると、日本の労働人口比率で一生英語を使わないで仕事をする人の割合が大部分を占めるというデータもありますので、何で英語を勉強するのかという疑間を持つ人もいるでしょう。本気で学びたい・本気で学ぶ層への英語教育のあり方を見直し、例えば小中学校制度とは別に特殊な英才教育的な授業を金銭的負担がなく受けられる環境を国が用意すること等、将来的には期待したいですね。

最後に、通訳志願者が最近減ってきているのを実感しています。ベテラン通訳者のお弟子さんも暇がないほど活躍している現状をみると今後も通訳需要は減らないのは確実で、そこで活躍する通訳者が足りないという危惧があるのも事実です。40代のお弟子さんが若手といわれるのを見ていると、これからの若い世代にもっと通訳志願者が増えることを期待しています。

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―この度は、お忙しいなか貴重なお話をお伺いし誠にありがとうございました。