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インタビュー第九弾

アイ・エス・エスは、おかげさまで創業50周年を迎えました

アイ・エス・エスまたは日本における通訳・翻訳の黎明期に活躍された方々から、アイ・エス・エス創業50周年を記念して、当時の思い出やこの業界の現在、未来についてお話を伺い、シリーズ連載を展開しています。

第九弾は、アイ・エス・エスの人材派遣事業にも関わっていらっしゃった星田 啓子氏(株式会社アヴァンティスタッフ元常務取締役)にお話を伺いました。


Cocoro Care for Children(NPO活動
/福島県:飯舘にて)

星田 啓子氏

津田スクール・オヴ・ビズネス卒業後、丸紅に入社。1985年ISSへ就職。海外派遣 (日系エンジニアリング企業が中東・東南アジア諸国で行う石油精製プラントや海水淡水化プラント建設プロジェクトのプロジェクトサイトへアドミニストレーターの派遣)を中心としたそれまでの人材派遣事業から、事務職を中心とした一般派遣への事業転換を行う。その後労働者派遣法施行(昭和61年7月)と共に丸紅パーソネル・サポート(2002年に富士銀行母体の日本キャリエールと合併し、アヴァンティスタッフとなる)へ転籍し中心的人物として活躍。丸紅グループ内で女性初の取締役に就任。同社とISSは人材派遣、語学教育、翻訳と様々な面で業務提携し相互協力関係を築く。

2006年に常務取締役退任後はAEFA (アジア教育友好協会 :アジアの子供達の教育環境支援)、子どもへの音楽を通じた文化振興、東日本大震災復興こころのケア支援など様々な分野の支援活動を行っている。

【Interviewer】筆谷 信昭氏(創業者子息、元代表取締役社長)

まずはじめに、星田さんは、ISSで人材派遣事業に関わっていらっしゃいましたが、そのきっかけについてお伺いしたのですが。

星田氏

1985年頃ですね。一度仕事を辞めてからの再就職先を探していました。特段の資格や能力を培ってこなかったので、せめてタイプライターのスキルを生かしながら英語のブラッシュアップができればと考えて通っていたビジネススクールの知人から、ISSを紹介していただいたのがきっかけです。再就職したらずっと働き続けることができる企業を探していたのですが、ISSの最初の印象は外資系のイメージで「こんなカッコいい(笑)会社で働けるのかな?」というのが正直な気持ちでした。少し悩んでいたのですが、当時の筆谷尚弘社長が、私が以前勤務していた丸紅の上司と高校の同級で親しい仲とのことで、「丸紅の方からも星田さんのお話を聞きました。ぜひに、ISSでの活躍を期待します」というお言葉に背中を押され決心しました。

当時のISSの人材サービス事業は語学力のある人材の海外への派遣から、国内での貿易事務等の事務職の人材派遣へと転換していくタイミングで、自分にとっても「人材派遣業」に関わるスタート地点となりました。それから、アヴァンティスタッフでの期間も含めると人材ビジネスに20年携わることになった訳です。

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ISSでの人材派遣をスタートとした「人材サービス」での20年について、お話を伺えますか。

星田氏

ISSから、丸紅の人材派遣を目的とした子会社へ転籍したのですが、当時、人事部管掌で人材派遣事業を立ち上げるというのは珍しい事例で、他の商社も同時期にグループ会社として人材派遣サービスを始めていましたが、人事部が主管となり、新規事業の立上げを行ったケースはなかったと思います。かつて丸紅勤務時代、人事部人事課を経験していたので「人さまの就職をお手伝いする」という意味合いを思い、その点は安心感がありました。ISSで骨を埋めようと決心していたので(笑)、転籍は自分でも想定外でした。ただ、元々勤めていた会社の環境でもあり、当時の同期が管理職となっていたり、人事部で採用した新入社員が仲間としてサポートしてくれたり、環境としては大変恵まれていました。ISSで人材派遣スタッフとして丸紅で活躍されていた方々も一緒に移籍していただき、この時はISSの懐の広さを感じましたねえ・・・。お陰さまで転籍した丸紅パーソネル・サポートの派遣事業の実績を作る大きなよすがとなり、本当に有り難かったです。皆さん非常に優秀な方々で「ISSには何であんなに優秀な方々ばかり集まるのか?」とも思っていましたね(笑)。先に申し上げましたが、丸紅では人事職、人事管掌役員の秘書職を経験したので、クライアントからの人材要望に対し適切な人材を配置するというノウハウは幾許かあったでしょうか。

ISS在籍時には営業行為も随分と勉強させていただきましたが、営業スキルだけでは実現できない、人材サービスのプロフェッショナルな部分を意識しながら、派遣先のクライアントも派遣当事者となる人材も満足のいく形を提供するサービスとして、人材サービスのあるべき姿を考える毎日でした。しばらくすると就職氷河期という言葉が実感できるような時代になり、新卒派遣という新しいモデルにも取り組みました。時代に翻弄されるかのように就職に困難をきたしている学生さんのお役に立てないものか、と思いが先行する形でした。社会経験がない新卒候補者に学校在籍中から貿易実務、簿記、マナーなどの教育を施し、派遣先を決め、そこで実務経験を積んだ上で経験者として企業へ紹介するというものです。ほとんどの方が1年後に社員として採用されました。人材育成を担保しながら人材派遣、正規雇用へと展開する人材サービスの成功モデルであったと思います。

今でも思い出すのは、ISSに入社してすぐに指示されたことが「派遣法施行に伴い、労基法と照らしわせ、その留意点をまとめなさい」という内容だったのですが、それは改めて労基法の本質を理解するきっかけとなり、ある意味、私の人材サービス20年の始まりだったと思います。このことからも、人材派遣の本来あるべき姿というのをISSで体験させていただいたというのが非常に貴重であったと思います。一般派遣のあり方や組織内での人員配置、直接雇用の促進等、この20年で様々なことを経験しながら考えてきました。本来の派遣という仕組みが目的とするスペシャリストを必要な企業へ派遣するためには、人材を育成することが必要という信念が自然とできていったのはISSの考え方がスタートだったからだと思います。それから20年、人材派遣業は優秀な人材を輩出していればクライアントの満足度が上がり、スタッフも納得性が高まり、ひいては事業も潤うという結果が一番の支えになっていたと思っています。

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人材派遣業を中心に、その20年間のなかで多くの「人材」と「働き方」を見てこられたと思いますが?

星田氏

そうですね。若い方で実務経験が少しでもあれば、派遣業界で少し上のランクを目指すことができます。新卒ではチャレンジできなかった大手企業での派遣就労を経験するというのも、キャリアのステップアップとして有効だと考えています。ただ、日本の慣例から正社員と比較するとボーナスや企業年金がないなど将来の安定性という点で、そのまま派遣社員を続けるというのは不安かもしれません。派遣での実務経験とスキル強化で経験者採用での転職を視野に入れることが大事ですね。

その他、新卒で大手企業に就職した方でも、3年目程度になると仕事や組織についての自分の価値観が定まってきます。周囲にいる方々などでも、転職や海外就職、起業する人が出てきたりする時期でもあります。そのタイミングで、将来のキャリアを今の組織に縛られない環境で考える準備期間として派遣就労を考えるというのも一つの手段だと思います。つまり、「派遣」を一つのステップボードと考えて自身のキャリアプランを設計するということが重要なのではないでしょうか。

それから、不遇にも50歳過ぎて失業した方なども派遣登録をされるケースがあります。そういう方でも、貿易やITエンジニアのプロの方であれば年齢に拘りなしで派遣就労できる場合があります。まだ昭和60年代でしたが、49歳の輸入のエキスパートの方で、丸紅への派遣で大変評価され、結果60歳まで勤められた方もいました。また、60歳を超えてもその社会経験、資格などを生かして派遣社員として働かれる方もおられました。企業側も当初の採用形態が派遣であっても、その後嘱託などの手段で有能な人材を確保するということも多くなってきています。

現在も改正派遣法が話題となっていますが、今後、派遣業がどう変化していくのか、派遣社員が便利に使われすぎるのは大きく懸念するところです。一方、法整備も含め、仕事のあり方や多様化する個人の価値観が尊重されるような時代にはなってきているので、期待はしています。余談ですけど、イクメン、「男性が育児をする」ことを女性が持て囃しているという流れも興味深いですね。いつの時代も、女性がもて囃すものは世の中を動かすというか「成長させる」きっかけになるということではないでしょうか(笑)。

全体感でいうと、雇用に関する法整備や企業サポート事情も変わり、個人の意識も自由になってきて会社や組織に縛られることなく将来を考えること、そして、人材紹介サービスの充実や起業に関しての融資環境等、複数の要素が重なりあって、昔にはなかった「仕事」や「働くこと」の自由化が進んでいると思います。

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政府が管理職女性比率の数値目標を掲げるなど女性の社会進出が今後もすすめられるなか、星田さんは、丸紅グループ内での「女性初の取締役」ということも経験されていますね。

星田氏

はい。「女だから頑張らなきゃ」というのは全くなかったですけどね(笑)。丸紅の社風もあって「女性だから意見が言えない」とか「上層部への進言ができない」という空気はなかったです。ただ、合併後の他業界からいらした役員の中には「女性の役員?どうなの?」という鵜の目鷹の目の感覚を持っているような雰囲気はありました。それも、業務の実績、まあこれは利益をどれだけ叩きだせるか、ということではありますが、それと直接仕事に関わっている人からの話や360度人事評価(部下や他部署からの評価)での結果がわかってくると、様子は随分と変わりました。人材派遣が「女性の活躍の場を提供する」という時代の流れと「人材派遣業で女性が役員になっていないのはどうか?」という社内での議論が女性登用にポジティブに働いたというのもありますね。

現在も社外取締役のお話をいただくのですが、「今後、課長クラスから女性登用をしていかなければならない、その先を考えて、女性だからこそ苦労する点などをサポートしていただきたい」という理由でお声がけいただくことが多いです。

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最後に、ISSが50周年を迎えたわけですが、今後、通訳・翻訳業界を含めて期待されることはありますか。

星田氏

私自身は短い間お世話になっただけですが、ISSは「自由な気風とグローバルな感覚」に満ちた会社だと思います。それは大企業のように組織的になりすぎることなく、根幹に人材育成という思想を貫いて、通訳と翻訳といった専門分野に特化してこられたからであり、その良い部分を50年持ち続けているのは素晴らしいことだと思います。

派遣業全体としては正社員雇用を促すような動きが強くなっている、これは雇用の安定という意味で喜ばしいことですが、一方、通訳・翻訳といった専門職に関しては必ずしもそれを望んでいる方ばかりではなく、むしろ正社員でないからこそ専門業務に集中できますし、また時代時代でニーズの強い分野を経験することもできます。スキルアップという意味でも、また出産・育児などのライフステージに合わせた働き方ができるという意味でも、派遣という形態が適している面も大きいと思います。

ISSのような「人材育成」の場(通訳者翻訳者養成学校)を有する事業モデルは、優秀な人材がさらに人材サービスを通じて成長し、ひいては通訳翻訳の業界全体の発展へとつながると思います。ISSには引き続き、新しい時代の流れにも対応しつつ、通訳翻訳業界の先駆者として、ぜひ次の50年も発展していってほしいですね。

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―貴重なお話をありがとうございました。