アイ・エス・エスは、おかげさまで創業50周年を迎えました
アイ・エス・エスまたは日本における通訳・翻訳の黎明期に、通訳者・翻訳者として志を持ち、または、通訳翻訳国際会議分野で活躍された方々から、アイ・エス・エス創業50周年を記念して、当時の思い出やこの業界の現在、未来についてお話を伺い、シリーズ連載を展開いたします。
その第一弾として、二宮社長と創業者(筆谷 尚弘、社長在任~1998年)子息の筆谷 信昭氏(同1998年~2010年)の対談をお届けします。
二宮 俊一郎
1969年生まれ。広島大学大学院教育学研究科博士課程前期終了後、1997年株式会社翻訳センター入社、2004年同社取締役に就任。2012年株式会社アイ・エス・エス代表取締役社長に就任。
筆谷 信昭
1966年生まれ。京都大学法学部卒業後ベインアンドカンパニー入社、1992年よりISSに参画、1998年より同社代表取締役社長、2010年退任。以後は映像翻訳、ゲーム開発、マンガ・アニメの海外展開支援、大学・地方自治体の国際化支援等、日本・北米・東南アジアをメインに幅広い分野で活躍中。
最初に、ISSが誕生した1960年前半の時代背景を含めて創業時のことをお伺いしたのですが。
筆谷さん、ISSの創業時の会社設立経緯を、長年社長を務められたお父様から聞かれていますか?
筆谷氏
創業の1965年と言えば、丁度東京オリンピックの翌年、急激な高度成長を遂げる真っただ中であったと思います。その頃から国際化の波がおしよせ、欧米を中心とした諸外国とのコミュニケーションが非常に重要かつ必要不可欠なものと考えられるようになった時代でもあります。そうした時代背景を元に、コミュニケーションのプロフェッショナル集団が必要であるという大義のもとISSが創業しました。
創業時の株主は当時の青年会議所(JC)のメンバーで、そのような大義に共感してくれた大手上場企業の若手経営者や後継者ら約5名、如何に当時の経済界から、発展と成長が期待された事業であったかを慮る事ができます。創業時は国際会議運営を主たる業務とし、派生する通訳、翻訳、人材サポートを提供する為のビジネスセンターを、会議の会場となる東京ヒルトンホテル内に開業しました。その後もしばらくは都内の有名ホテル内に10カ所程度のビジネスセンターを開設し、事業展開を図りました。
また、当時はプロの通翻訳者と呼べる方々が国内にはほとんど存在せず、必要にかられて、日本で初めての通翻訳者の養成学校を1966年に開設しました。それぞれの事業において高質のサービスを提供する上で欠く事のできない優秀な人材を養成したこの学校こそが、ISSの事業基盤となって現在へ至っているのです。ここに創業者の強い思いを感じています。
また、1960年代といえば、ISS同様にいくつかの同業の会社が生まれました。どの会社も海外との架け橋としてコミュニケーションサービスを提供し、良い意味での競争の中でお互い切陸隊磨しながら、市場を発展させ、また国際化に貢献してきたと思います。
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ISSへ入社した経緯とその後の事業展開について、お話いただけますか?
筆谷氏
大学卒業後は外資系コンサルティング会社に就職しましたが、当時ISSの社長であった父から「ISSに入ったらどうか」と声をかけられ、1992年春に入社しました。
まずは現場を経験すべきとの考えで、最初はホテルのビジネスセンターで実際に通訳・翻訳等の営業や手配をやっていました。
私の入社以前の時代には、ISSは新規事業として機械翻訳での本格的な事業化に挑戦し、そのことが当時朝日新聞の一面トップを飾ったこともありました。また、海外のプラントへの人材派遣なども展開していました。米国展開も、私が加わる直前の1989年に、ホンダとの提携で米国ロサンゼルスに現地法人を立ち上げました。その後ホンダとの提携は解消し独自での展開となりましたが、ISSとして2010年までの20年間、LAで通訳翻訳事業、スクール事業を続けました。
社長を引き継いだ当時(1998年)は、バブル時代の投資の影響で財務状況も厳しく、まず短期的な資金繰りの安定化を図りました。この頃にスタートした外資系向け人材紹介事業(現ISSコンサルティング)が初年度からかなりの高収益事業となり、既存事業に対しても顧客の広がりやイメージアップという点でとても貢献してくれました。会社全体は厳しい状況でしたが、当時の社員は皆頑張ってくれていました。今も続いている通訳、翻訳、人材派遣、スクール事業、それぞれの事業において社員が地道に本業に専念することが出来るよう、当時の私は財務面体質の改善に注力しました。当時の社員は創業の志やミッションをよく理解し、日々の業務に邁進してくれました。そのおかげで、少なくない同業他社が倒産や解散となっているなか、ISSは50年の歴史が続いている。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
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二宮社長は翻訳業界に携わりながら、ISSをどのように見てきましたか?
二宮社長
ISSを最初に知ったのは、学生時代に購読していた業界誌です。1994年頃、翻訳を仕事にしようと考えていたなかで、その雑誌には、ISSやその他の通訳・翻訳会社の広告が掲載されていました。実際に翻訳センターに入社してからは、クライアント先で競合となるケースがほとんどなかったので、通訳主業の印象が強かったですね。
今でもそうですが、通訳と翻訳のフィールドは違うと思っています。
ISS等の通訳・翻訳の両事業をやっている会社と翻訳主業の翻訳会社は、実は、あまり絡むことがなかったというのが正直なところです。
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筆谷氏
私も、翻訳センターを競合として意識する機会がありませんでしたが、翻訳を主業とする会社が初めて株式上場する (2006年)ということで強く印象に残っていますね。
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二宮社長
ただ、ISSの翻訳事業に関しては、一度お会いしただけですが、山岡洋一氏 (元ISS翻訳事業部門所属、国富論 (アダム・スミス)翻訳者として著名)が「良質な翻訳で翻訳者にとって適正な価格を設定し、翻訳の値崩れをさせない」ということをおっしゃっていたのが印象的でした。当時の翻訳センターは「値段はお客様にとって適正な価格に設定」という方針でしたので、考え方が違うなと。
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筆谷氏
山岡氏は高い精度が求められる金融翻訳等をメインにしていたので、産業翻訳のなかでも限定的な領域であったかもしれません。「最高の品質を提供する一方で、それに見合った対価もいただく」という考え方で、当時から翻訳者としてカリスマ的な存在感がありました。
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二宮社長、筆谷氏との出会いは?
二宮社長
2007年頃ですかね?翻訳センターと資本関係があった会社の方を通じてだと思います。当時、通訳ビジネスに関しては「フィールドが違う、翻訳会社から通訳ビジネスが生まれることはない」ということはわかっていましたが、一方で、翻訳センターグループが「語学サービス」を総合的に提供していくには、「通訳」という事業パートを持つ必要があると考えていました。そういう意味で、ISSとの距離も近くなりつつありましたね。
その後、ISSが翻訳センターグループになるまでも筆谷さんとはお会いする機会があり、通訳ビジネスや学校運営について意識するようになりました。
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筆谷さん、2012年8月に翻訳センターのグループ会社となり、本年(2015年)50周年を迎えるISSにどのような思いがありますか?
筆谷氏
同業他社と比べてのISSの良いところは、さまざまな人とのご縁をとても大事にする文化、風土があるということだと思います。通訳者翻訳者の方々をとても大切に考え、時にはお客様より大切な存在というスタンスで仕事をしている。また、そういった人材を輩出する源となる学校がグループ全体の中でも重要な位置づけとなっている。
現在の翻訳センターのもとでも、そういう思いが継承されていることを、とても嬉しく思っています。色々なことのあった50年ではありましたが、亡き父が大事にした根幹が今も続いていることに改めて感謝です。
また、父筆谷尚弘の強い思いとして業界全体の地位向上ということがあり、かつて通産省サービス産業課にいらした西村康稔さん(現衆議院議員)に働きかけ、日本翻訳連盟の設立にも尽力しました。
これは私も都度同行していたので懐かしい思い出であるとともに、現在翻訳センター東社長が同連盟の会長となっていらっしゃることに強いご縁を感じます。
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二宮社長、「通訳者・翻訳者人材を輩出する源となる学校がグループ全体の中でも重要な位置づけとなっている」というコメントを受けていかがですか?
二宮社長
ISSのビジネスの原点は「教育にあり」、学校をどうやって展開していくかが、翻訳センターグループの今後の事業ビジョンにおける重要な課題であるとも考えています。
通訳人材養成のビジネスモデルとして「プロデビューまでの道のり」を一事業体が構築するサイクルはすでにありますが、翻訳人材養成という意味では一部の事業体でしかできていないのが現状です。そのためには、学校の翻訳者養成コースの編成をさらに専門分野別に高度化しなければいけないというのが絶対条件です。そして、あらゆる実務の機会を提供していく、OJT等を通じ実務経験を積み上げていけるような仕組みをグループ内で整えていくことが必要だと考えています。
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お二人にお伺いします。2020年には東京オリンピックもありますが、これからの50年、どう考えますか?
二宮社長
ISSが翻訳センターと一緒になって、刺激し合いながら何か新しいものを創り上げていくことに期待しますね。機械翻訳等の技術革新は東京オリンピックに向けて躍進的に進歩し、その技術を駆使できる人材も必要となってくるだろうし、その反面で、「人」が通訳・翻訳をしなければいけない領域も重要となってくると思います。また、「語学サービス」を総合的に提供していくビジネスモデルも多様なパッケージ化が進むでしょう。
これからの50年もISS、そして、翻訳センターグループは、その時代に対応するべく「言葉」の総合サービス会社として進化していくことで社会的役割を果たしていきたいと考えています。
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筆谷氏
ISS創業は私が生まれる二年前、ちょうど1964年のオリンピックが契機でした。50周年の今、2020年の東京オリンピックに向けて、そして、その先もISSと翻訳センターグループが、業界全体をリードしていけるよう発展してほしいと心から願っています。
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